平成十七年度など(十八年度も混在)

平成十八年 三月

 

「仏縁の不思議さ自覚し感謝 今ある人生先祖に感謝 素直に生きて報恩報謝」

私は58歳で在家から僧侶になりました。現在曹洞宗の専門僧堂で修行をしております。坐禅の時静かに自分の人生を顧みました。一酸化炭素中毒になり九死に一生を得、喘息発作で入院し酸素不足で生死をさまよい、幼児の飛び出しの交通事故の時、危機一髪で事故を回避し傷害致死の難を逃れ、様々な困難に遭遇しても誰かが支援や援助の手をさしのべてくれ、解決できました。妻や家族には色々厄介をかけ通しですが、許容には感謝しています。

62歳の今、持病の喘息発作も出ず健康で毎日仏道に精進出来、人情味豊で包容力と行動力のある堂長老師の下で、人生の中で培ってきた様々なスキルを執事に活かし難無くこなしています。これらを総合してみると、何かしら不思議な力が働いて今の自分があり、「仏道を通じて世の為、人の為に役立つ様生かされている」と感じるのです。沢山の功徳を頂き今ある自分を、この世に生を受けさせてくれた先祖や衆生に感謝し、これからも素直にありのままを受け入れ、報恩報謝の心で、世の為人の為に役立つ人生を送りたいと思います。 

平成十八年 一月

 

「幸福なようでしあわせでないのが感謝のない人」

つねに幸福なのにもかかわらず、贅沢していても幸せでないと思っている人は感謝の気持ちを持っていない人。

平成十七年 十月

 

「柔らかい顔で、やさしいことばで、自分の思いを伝えたい。」

 修証義に「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり(慈愛の心をおこして、思いやりのある言葉を与えること)」とあります。周りの方々から受ける恩恵に感謝すると共に、和やかな表情と慈愛に満ちた言葉で恩を返す事は「布施の真髄」でもあります。いくら気持ちがあっても、言葉遣い一つで思いもよらない受け取られ方をすることがあります。或いは人を傷つけたり、不快な思いをさせる言葉を出していることがどれほどあることでしょうか。善い言葉を出すという事が、自分の心を明るくする修行であり、そして相手や社会を明るくする一歩と考え、日々精進して参ります。

平成十七年度九月

 

「今までどれだけの人に助けられ支えられて来たか、修行に於いてあらためて思う」

 自分の身の回りをする様に成り、何一つとして分からない事ばかりで如何に人に頼ってきた事が分かり、この修行を通じて、逆の立場に成れる様に一つでも多くの事を身につけたいと思う。

平成十七年 八月

 

「周り道をしたっていい しっかり足跡を残せれば」

 一度は人生で周り道を経験することがあると思います。そして、ここでの足跡を残すと言う事は、自分に対する甘えを取り除き、周りから感謝される、信頼される、頼られる、などと人の為に正しい事をすることにより必ずそこに自分の足跡を残せるはずなのです。どんな事をしても全て自分に跳ね返ってくるので,、自分が苦しく辛い時でも、正しい判断、行動が大切であり、そうする事によってきっと足跡は残せるはずです。

平成十七年 七月

 

「多くの出会いは多くの新しい自分との出会いだ」

 人は、人と出会う事によって、その人の話しや行動から何らかの影響をうけ、違った考え方を発見できたり、自分の考えに自信を持ったり、あの人のようになりたいとか、あの人のようにはなりたくないと思ったり、色々な思いがうまれます。それを吸収していく事により、また新しい自分に出会えると私は思います。

 産まれてすぐの両親との出会いにはじまり、今までたくさんの人と出会い、その度にその人から刺激をうけ、良くも悪くも自分をアップデートしてきました。そしてこの大榮寺専門僧堂でも、たくさんの出会いがあり、これからも出会っていくと思います。修行という特別な状況の中で感じる事は大きいと思うので今までにも増して、人との出会いから自分と向き合う事を大切にしていきたいです。

平成十七年 六月

 

「好きな事だけが今の自分に大切な事ではない。わかっている事だけがこれからの自分に必要な事ではない。」

 当たり前の事ではありますが、若くない身で修行にきた私にとって、今心から実感し、自分に言い聞かせているという事であえてこの言葉にしました。今後の修行の日々もこの言葉を胸に精一杯励んでいこうと思います。